知覧特攻平和記念館(鹿児島県)

10日以上前のことになりますが、定休日と代休を利用して、鹿児島県にある知覧特攻平和記念館に行っていました。以前から一度行きたかったので、念願かなってようやく行くことができました。

たまたま入口にいらしたツアーガイドのおじさんに撮影していただきました。どこから来たのか聞かれたので、東京から来たと伝えると、ご本人も長く東京で仕事をされていたとのことで、嬉しそうに歓談させていただきました。

あらかじめ下調べをしてから行ったのですが、実際に平和記念館に行って、特攻兵の家族におくった手紙を読むと、今までにないような複雑な気持ちになりました。一つ言えるのは、今この時代に生きれていることに感謝し、家族のありがたみに感謝し、親孝行できる今に感謝したいと強く思えたことでした。

私は職業柄、穴澤利夫(あなざわ としお)大尉が婚約者の智恵子さんに送った手紙が特に印象に残っており、知覧特攻平和記念会館の「語り部さん」による講和では、ラブレターと称されていました。この手紙を読むたびに妻の存在に感謝しています。

入口からすぐ横にある戦闘機。この戦闘機の製造元は分かりませんが、奥に展示されていた戦闘機は「中島飛行機株式会社」の製造とのことで、私と何か所縁があるのではないかと考えてしまいました。

特攻兵が寝泊りしていた三角兵舎。ここで寄せ書きや家族に送る遺書や手紙を書いていたとのこと。

ロビーの絵を見返すだけで、訪問した時の感情が蘇ってきます。(ちなみに、ロビーでの撮影はOKとのことでした。)

今回の訪問により、現在の平和な日々に感謝し、穏やかに暮らせていることに感謝したいと心から思えるようになりました。特攻兵の方々の遺書には、ご家族への感謝の気持ちが書かれていることが多く、親孝行できなかったことに対する悔いの言葉もありました。両親に感謝し、なるべく親孝行ができるように励んでいきたいと思います。次回は夫婦で再訪すると誓い、その場を後にするのでした。