自分が求める異性と結婚するには自分の器を広げることが大切

運の悪い人は、運の悪いと出会いつながり合っていく。やくざのもとにはやくざが集まり、へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。心根の清らかな人は心の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。じつに不思議なことだと思う。” 類は友を呼ぶ “ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人の出会いをつくりだしているとしか思えない。 

– 中略 –

自分という人間の核を成すものを共有している人間として結びついていかない。その恐さ、その不思議さ。私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。「 出会い 」とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、「 出会い 」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析してみるといい。「 出会い 」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。

– 中略 –

どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。
( 引用書籍:宮本輝 「命の器」59-61P 講談社文庫 2005 )

以前に読んだ本の中で大変感銘を受けたのが上記箇所になるのですが、結婚だけでなく、友人関係や仕事の関係など、人生における人との出会いの質は自分の命の器次第ということ。

たしかに、長く続いている周囲の方々との縁を客観視してみると、自分にとって適正な縁で結ばれているように思います。

極端な例を挙げるならば「誰もが憧れるような容姿端麗の女性と結婚したい」「高い年収の男性と結婚して、悠々自適な生活をおくりたい」など、強く理想を思い描いていたとしても、自分自身の器と理想のお相手の器に差があれば結びつくことは困難と言えるでしょう。仮に数回お会いする縁があったとしても、継続した縁にはなりにくいように思います。

結局のところ、自分の置かれた立場を徹底的に客観視し、「妥協ではなく適正」な異性との出会いを求めることによって、真の幸せな結婚に至ると考えています。